代
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名前
生没年(né/mort)、在位(regne)
両親
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主な出来事
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メロヴィング朝 Mérovingien |
ゲルマン民族大移動の中で、忍耐強く、武器の扱いに巧みな戦士兼牧人の集団フランク族は、はじめソンム川、のちにセーヌ川の岸辺に定着を試み、やがて勢力を張る。侵入者に悩むガロ・ローマ(ローマ化されたガリア人)の司教たちに軍事力を提供することで、キリスト教を奉じる領主制の農業国メロヴィング王国が誕生した
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1
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キルデリック1世(メロヴィング朝)
Childeric Ier
生没:436-481、在位:457-481
父:メロヴェ Merovee |
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2
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クローヴィス1世(メロヴィング朝)
Clovis Ier
生没:465-511、在位:481-511
父:キルデリック1世 Childeric Ier、母:バジヌ Basine
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ゲルマン人フランク族の一部族サリ族の戦士の長
洗礼を通して、ランスの司教聖レミギウスとの同盟を結ぶことで、「フランク王」となり、国家としての形を整えた(フランク族の軍事力と司教たちのローマ的行政支配)。その領土は、ガロンヌ川からライン川に至った。王国の首都パリで死去 |
3
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ティエリ1世(アウストラシア王国)
Thierry Ier - Royaume d'Austrasie
没:533、在位:511-533
父:クローヴィス1世 Clovis Ier
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4
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クロドミール(オルレアン王国)
Clodomir - Royaume d'Orleans
没:524、在位:511 - 524
父:クローヴィス1世 Clovis Ier、母:クロティルド Clotilde |
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5
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クロテール1世(フランク王国)
Clotaire Ier - Royaume franc
生没:497-561、在位:511-561
父:クローヴィス1世 Clovis Ier、母:クロティルド Clotilde
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529年、ベネディクト派修道院設立 |
6
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テオドベルト1世(アウストラシア王国)
Theodebert Ier - Royaume d'Austrasie
生没:504-547、在位:533-547
父:ティエリ1世 Thierry Ier、母:スアヴェゴート Suavegothe
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7
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テオドバルド(アウストラシア王国)
Theodebald - Royaume d'Austrasie
生没:535-555、在位:547-555
父:テオドベルト1世 Theodebert Ier、母:デウテリ Deuterie |
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8
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カリベルト(フランク王国)
Caribert - Royaume franc
生没:531-567、在位:561-567
父:クロテール1世 Clotaire Ier、母:インゴンド Ingonde
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9
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ゴントラン(ブルゴーニュ王国)
Gontran - Royaume de Bourgogne
生没:531-592、在位:561-592
父:クロテール1世 Clotaire Ier、母:インゴンド Ingonde |
フランク族内でネウストリアとアウストラシアが抗争(561〜629) |
10
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キルペリック1世(ネウストリア王国)
Chilperic Ier - Royaume de Neustrie
生没:539-584、在位:561-584
父:クロテール1世 Clotaire Ier、母:アレゴンド Aregonde |
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11
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ジゲベルト1世(アウストラシア王国)
Sigebert Ier - Royaume d'Austrasie
生没:535-575、在位:561-575
父クロテール1世 Clotaire Ier、母インゴンド Ingonde
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12
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キルデベルト2世(アウストラシア王国)
Childebert II - Royaume d'Austrasie
生没:570-595、在位:575-595
父:ジゲベルト1世 Sigebert Ier、母:ブルネハウト Brunehaut |
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13
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クロテール2世(ネウストリア王国)
Clotaire II - Royaume de Neustrie
生没:582-629、在位:584-629
父:キルペリック1世 Chilperic Ier、母:フレデゴンド Fredegonde
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14
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テオデベルト2世(アウストラシア王国)
Theodebert II - Royaume d'Austrasie
生没:584-612、在位:595-612
父:キルデベルト2世 Childebert II、母:フェルベ Faileube |
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15
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ティエリ2世(ブルゴーニュ王国)
Thierry II - Royaume de Bourgogne
生没:586-613、在位:595-613
父:キルデベルト2世 Childebert II、母:フェルベ Faileube
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16
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ジゲベルト2世(アウストラシア王国)
Sigebert II - Royaume d'Austrasie
生没:601-613、在位:613-613
父ティエリ2世 Thierry II、母エルメンベルゲ
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17
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ダゴベルト1世(フランク王国)
Dagobert Ier - Royaume franc
生没:604-639、在位:629-639
父:クロテール2世 Clotaire II、母:ベルトルド Bertrude
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629年、フランク王国再統一
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18
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聖ジゲベルト3世(アウストラシア王国)
Sigebert III (saint) - Royaume d'Austrasie
生没:631-656、在位:634-656
父:ダゴベルト1世 Dagobert Ier、母:ラグネトルド Ragnetrude
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19
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クロヴィス2世(ネウストリア王国)
Clovis II - Royaume de Neustrie
生没:634-657、在位:639-657
父ダゴベルト1世 Dagobert Ier、母ナンティルド Nantilde |
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20
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クロテール3世(ネウストリア王国)
Clotaire III - Royaume de Neustrie
没:673、在位:657-673
父クロヴィス2世 Clovis II、母バティルド Bathilde
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21
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キルデリック2世(アウストラシア王国)
Childeric II - Royaume d'Austrasie
生没:650-675、在位:662-675
父:クロヴィス2世 Clovis II、母:バティルド Bathilde |
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22
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クロヴィス3世(アウストラシア王国)
Clovis III - Royaume d'Austrasie
没:675、在位:675-675
父:クロテール3世 Clotaire III
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23
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ティエリ3世(ネウストリア王国)
Thierry III - Royaume de Neustrie
没:690、在位:675-690
父:クロヴィス2世 Clovis II、母:バティルド Bathilde
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24
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ダゴベルト2世(メロヴィング朝/アウストラシア王国)
Dagobert II - Royaume d'Austrasie
没:679、在位:676 - 679
父:聖ジゲベルト3世 Sigebert III (saint)、母:エムネキルディス Emnechildis |
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25
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クロヴィス4世(ネウストリア王国)
Clovis IV - Royaume de Neustrie
生没:682-695、在位:692-695
父:ティエリ3世 Thierry III
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26
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キルデベルト3世(ネウストリア王国)
Childebert III - Royaume de Neustrie
生没:683-711、在位:695-711
父:ティエリ3世 Thierry III
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27
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ダゴベルト3世(ネウストリア王国)
Dagobert III - Royaume de Neustrie
生没:699-715、在位:711-715
父:キルデベルト3世
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28
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キルペリック2世(ネウストリア王国)
Chilperic II - Royaume de Neustrie
没:721、在位:715-721
父:キルデリック2世
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29
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クロテール4世(ネウストリア王国)
Clotaire IV - Royaume de Neustrie
没:719、在位:718-719
父:ティエリ3世 Thierry III
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30
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ティエリ4世(ネウストリア王国)
Thierry IV - Royaume de Neustrie
没:737、在位:721-737
父:ダゴベルト3世 Dagobert III |
732年、カール・マルテルがポワティエの戦いでサラセン人を撃退 |
31
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キルデリック3世(ネウストリア王国)
Childeric III - Royaume de Neustrie
没:754、在位:743-751
父:キルペリック2世 Chilperic II
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741年、カール・マルテルの死 |
カロリング朝 Carolingien
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カール大帝が、様々なフランク族の王国を合せて、古典文明・ローマ帝国を再生する帝国を築き、ローマで教皇から戴冠。異教のサクソン人やイスラム教徒に脅威を与え、ヨーロッパという観念の最初の現われとなるも、その後、広大な版図はヴェルダン条約により三分割され、古くからのガリア諸地方は西フランク王国、ゲルマニア諸地方と皇帝の称号は東フランク王国となる。両国に挟まれたロタリンギア王国はすぐに分解され、ヨーロッパはその一部を独占しようと20世紀まで争い続けることになる。ヨーロッパにおいて、西フランク王国は、肥沃な土地と家畜の豊かさから、特権的な地位を占めるようになった
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32
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短躯王ペピン
Pepin le Bref
生没: 714-768、在位:751-768
父カール・マルテル Charles Martel
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メロヴィング朝の没落に伴い、フランク国王となる |
33
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カール大帝(西ローマ皇帝)
Charlemagne (Empereur d'Occident)
生没:747-814、在位:768-814
父:短躯王ペピン Pepin le Bref、母:ベルト Berthe (Bertrade)
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800年、西ローマ皇帝としてローマで戴冠。「神の剣」として、キリスト教ヨーロッパの創造者となる。 |
34
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敬虔王ルイ1世(西ローマ皇帝)
Louis Ier le Pieux (Empereur d'Occident)
生没:778-840、在位:814-840
父:カール大帝 Charlemagne、母:ヒルデガルド Hildegarde
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35
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禿頭王シャルル2世(西ローマ皇帝)
Charles II le Chauve (Empereur d'Occident)
生没:823-877、在位:840-877
父:敬虔王ルイ1世 Louis Ier le Pieux、母:ジュディット Judith de Baviere |
843年、ヴェルダン条約による西ローマ帝国の3分割(シャルルはガリア、ロタールはロタリンギア、ルードヴィヒはゲルマニア)。
844年、ヴァイキング・ノルマン人の襲撃 |
36
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吃音王ルイ2世
Louis II le Begue
生没:846-879、在位:877-879
父:禿頭王シャルル2世 Charles II le Chauve、母:エルメトルド Ermentrude
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37
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ルイ3世
Louis III
生没:863-882、在位:879-882
父:吃音王ルイ2世 Louis II le Begue、母:アンスガルド Ansgarde |
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38
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肥満王カール3世
Charles le Gros
生没:839-888、在位:884-887
父:ゲルマン王ルイ Louis le Germanique、母:エマ Emma de Baviere
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886年、ノルマン人によるパリ包囲 |
ウード朝 Eudes - capétien
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39
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ウード
Eudes - capetien
生没:860-898、在位:888-898
父:頑丈王ロベール Robert le Fort、母:アデレード Adelaide
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カロリング朝 carolingien
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40
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単純王シャルル3世
Charles III le Simple
生没:879-929、在位:898-922
父:吃音王ルイ2世 Louis II le Begue、母:アドレード Adelaide
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911年、ノルマン人のセーヌ川下流地方定住
912年、ノルマン人首長ロロ、ノルマンディーを授けられる
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ウード朝 Eudes - capétien
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41
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ロベール1世
Robert Ier
生没:865-923、在位:922-923
父:頑丈王ロベール Robert le Fort、母:アデレード Adelaide |
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42
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ラウール
Raoul de Bourgogne
没:936、在位:923-936
父:ブルゴーニュ王リシャール Richard de Bourgogne |
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カロリング朝 Carolingien
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43
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ルイ4世
Louis IV d'Outremer
生没:921-954、在位:936-954
父:単純王シャルル3世 Charles III le Simple、母:エドウィグ Edwige de Wessex |
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44
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ロテール
Lothaire
生没:941-986、在位:954-986
父:ルイ4世 Louis IV d'Outremer、母:ゲルベルジュ Gerberge de Saxe
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45
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ルイ5世
Louis V
生没:967-987、在位:986-987
父:ロテール Lothaire、母:エマ Emma d'Italie
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カペー朝 Capétien
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ユーグ・カペーのクーデタにより出発し、少しずつ王朝の力を強めていくも、封建領主が混在し、領地を巡る争いが頻発する。また、教皇の呼びかけに従い、フランス諸王は全ヨーロッパ諸侯とともに、聖地エルサレム奪還のために十字軍遠征を繰り返す。多くの領主が十字軍費用を賄いきれずに没落し、富裕な自治都市が台頭する中、フランス王国は拡大し、次第に単なる領土から組織された国家に変わっていく
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46
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ユーグ・カペー
Hugues Capet
生没:940-996、在位:987-996
父:大ユーグ Hugues le Grand、母:ハドウィゲ Hadwige
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987年、パリ伯・フランス公ユーグ・カペーがフランス王国を建設(ただし、まだ1つの州にすぎなかった) |
47
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敬虔王ロベール2世
Robert II le Pieux
生没:970-1031、在位:996-1031
父:ユーグ・カペー Hugues Capet、母:アドレード Adelaide d'Aquitaine |
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48
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アンリ1世
Henri Ier
生没:1008-1060、在位:1031-1060
父:敬虔王ロベール2世 Robert II le Pieux、母:コンタンス Contance d'Arles
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49
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フィリップ1世
Philippe Ier
生没:1052-1108、在位:1060-1108
父:アンリ1世 Henri Ier、母:アンヌ Anne de Kiev |
1066年、ノルマンディー公ウィリアム、イギリスを征服
1096年、十字軍開始
1099年、十字軍によるエルサレム奪取 |
50
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肥満王ルイ6世
Louis VI le Gros
生没:1081-1137、在位:1108-1137
父:フィリップ1世 Philippe Ier、母:ベルト Berthe de Hollande
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51
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未熟王ルイ7世
Louis VII le Jeune
生没:1121-1180、在位:1137-1180
父:肥満王ルイ6世 Louis VI le Gros、母:アドレード Adelaide de Savoie
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1152年、アリエノール・ダキテーヌ、ブランタジネット家と姻戚関係を結ぶ
1154年、ブランタジネット家、イギリス国王となる |
52
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尊厳王フィリップ2世
Philippe II Auguste
生没:1165-1223、在位:1180-1223
父:未熟王ルイ7世 Louis VII le Jeune、母:アデル Adele de Champagne |
イギリス領だったパリ西部ヴェクサン地方を没収、ノルマンディー、アンジュー、メーヌ、トゥーレーヌ、ポワトゥーを手にする
1190年、サラディンが第三回十字軍を破る
1208年、アルビジョワ十字軍開始
1214年、尊厳王フィリップ、ブーヴィーヌにてドイツ皇帝オットーを破る |
53
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獅子王ルイ8世
Louis VIII le Lion
生没:1187-1226、在位:1223-1226
父:尊厳王フィリップ2世 Philippe II Auguste、母:イザベル Isabelle de Hainaut
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54
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聖王ルイ9世
Louis IX (Saint Louis)
生没:1214-1270、在位:1226-1270
父:獅子王ルイ8世 Louis VIII le Lion、母:ブランシュ Blanche de Castille
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1244年、南フランス・モンセギュールにて、カタリ派を大虐殺 |
55
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大胆王フィリップ3世
Philippe III le Hardi
生没:1245-1285、在位:1270-1285
父:聖王ルイ9世 Louis IX (Saint Louis)、母:マルゲリットMarguerite de Provence
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56
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端麗王フィリップ4世
Philippe IV le Bel
生没:1268-1314、在位:1285-1314
父:大胆王フィリップ3世 Philippe III le Hardi、母:イザベル Isabelle d'Aragon
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中央集権化を進め、絶対王政の礎を築いた。また領土的な野心も強く、フランス王領を拡大した。
【結婚・即位】
1284年、ナバラ女王ジャンヌ(フアナ1世)と結婚、ナバラ王とシャンパーニュ伯となり、王の直轄領が強化された。
1285年、アラゴン遠征の帰りに病没した父フィリップ3世を継いで即位。
【フランドルの争い】
1297年から羊毛産業で栄えたフランドルを狙って、市民やイングランド王と1314年まで生涯激しく争った。
【教皇権への介入】
1302年、対立する教皇ボニファティウス8世捕縛を計り失敗(アナーニ事件)。
1305年、フランス出身の教皇クレメンス5世を立てる。1308年、教皇庁をアヴィニョンに移し傀儡(アヴィニョン捕囚)。
【テンプル騎士団解体】
1307年10月13日、テンプル騎士団を一斉に逮捕。異端審問の後、教皇クレメンス5世に働きかけテンプル騎士団を解散させ、フランス国内の資産を没収。
1314年にジャック・ド・モレーら騎士団の最高幹部を火刑。
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57
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ルイ10世
Louis X le Hutin
生没:1289-1316、在位:1314-1316
父:端麗王フィリップ4世 Philippe IV le Bel、母:ジャンヌ1世 Jeanne Ire de Navarre
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カペー朝の直系が絶える |
58
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ジャン1世(遺勲)
Jean Ier le Posthume
生没:1316-1316、在位:1316 - 1316
父:ルイ10世 Louis X le Hutin、母:クレマンス Clemence de Hongrie
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59
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長大王フィリップ5世
Philippe V le Long
生没:1293-1322、在位:1316-1322
父:端麗王フィリップ4世 Philippe IV le Bel、母:ジャンヌ1世 Jeanne Ire de Navarre
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60
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端麗王シャルル4世
Charles IV le Bel
生没:1294-1328、在位:1322-1328
父:端麗王フィリップ1世 Philippe IV le Bel、母:ジャンヌ1世Jeanne Ire de Navarre
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1328年、カペー朝断絶 |
ヴァロワ朝 Capétien - Valois
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カペー朝の断絶により、フィリップ3世の孫が王位につく。11〜13世紀に西ヨーロッパ全体が豊かになると、新しい君主制国家同士のフランスとイギリスが戦いを始め、この争いに多くの年や産業を抱えるフランドルと肥沃なブルゴーニュが巻き込まれる(百年戦争)
。結果として、仏英両国で国民意識が高まり、イギリスの領地はフランスからほぼ駆逐されるなど、国王権力が強化される。一方、ペストが全ヨーロッパに蔓延し、多くの犠牲者を出した
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61
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フィリップ6世
Philippe VI
生没:1294-1350、在位:1328-1350
父:シャルル4世・ド・ヴァロワ(フィリップ3世の子) Charles de Valois、母:マルゲリット Marguerite
d'Anjou-Sicile
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1339年、百年戦争勃発
1346年、フィリップ6世、クレシーで敗北 |
62
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善良王ジャン2世
Jean II le Bon
生没:1319-1364、在位:1350-1364
父:フィリップ6世 Philippe VI、母:ジャンヌ Jeanne de Bourgogne
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1356年、ポワティエでイギリス王の黒太子がフランス軍を破り、善良王ジャン2世を捕虜に
1360年、プレティニーの和約で、イギリスがフランス南西部を占拠 |
63
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賢明王シャルル5世
Charles V le Sage
生没:1338-1380、在位:1364-1380
父:善良王ジャン2世 Jean II le Bon、母:ボンヌ Bonne de Luxembourg |
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64
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狂気王シャルル6世
Charles VI le Fol
生没:1368-1422、在位:1380-1422
父:賢明王シャルル5世 Charles V le Sage、母:ジャンヌ Jeanne de Bourbon |
1415年、アザンクレールの戦いにて、イギリス王ヘンリー5世が大勝利すると、シャルル6世の娘と結婚し、フランス王位を要求
1422年、 ヘンリー5世の死後、摂政ベッドフォードがフランス北部を占領し、南西部を侵略 |
65
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栄光王シャルル7世
Charles VII le Victorieux
生没:1403-1461、在位:1422-1461
父:狂気王シャルル6世 Charles VI le Fol、母:イザボー Isabeau de Baviere |
1429年、ジャンヌ・ダルク、オルレアンを解放
1453年、百年戦争終結 |
66
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ルイ11世
Louis XI -
生没:1423-1483、在位:1461-1483
父:栄光王シャルル7世 Charles VII le Victorieux、母:マリ Marie d'Anjou
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近代国家として、全国民に共通の法を定めた。
1482年、プロヴァンス伯領をフランス王国に吸収。
1486年、正式にフランス王国プロヴァンス地方として承認。 |
67
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シャルル8世
Charles VIII
生没:1470-1498、在位:1483 - 1498
父:ルイ11世 Louis XI、母:シャルロット Charlotte de Savoie |
1492年、コロンブスがアメリカ大陸発見 |
ヴァロワ・オルレアン朝 Capétien -
Valois-Orléans
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ヴァロワ本家が断絶し、シャルル5世の子孫、オルレアン公シャルルの息子ルイが即位。
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68
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人民の父ルイ12世(カペー・オルレアン朝)
Louis XII le Pere du Peuple
生没:1462-1515、在位:1498-1515
父:シャルル・ドルレアン Charles d'Orleans、母:マリ Marie de Cleves
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ヴァロワ・オルレアン朝 Capétien -
Valois-Orleans-Angouleme
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ルイ12世にも世継ぎがないため、シャルル5世から出たアングレーム伯シャルルの息子フランソワを養子とした。
ルネサンス期にあたるこの時期、フランス国王はイタリアの富を狙って、イタリアに遠征を試みるも失敗。しかし、近代的な企業、壮大な建築、科学や美術に感化され、絹織物工業を発展させ、造船所、港、武器工場の創設に努めた。フィレンツェの名家メディチ家の娘が相次いでフランス王妃の座についた。また、宗教に対する疑問から新教が広まると、虐殺と内戦が続いた(宗教戦争)
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69
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フランソワ1世
Francois Ier
生没:1494-1547、在位:1515-1547
父:シャルル・ド・ヴァロワ・オルレアン・アングレムCharles de Valois-Orleans-Angouleme、母:ルイーズ Louise
de Savoie
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コレージュ・ド・フランスを創立して学問研究を奨励
1515年、フランソワ1世、マリニャーノで勝利
1524年、騎士バヤールの死 |
70
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アンリ2世
Henri II
生没:1519-1559、在位:1547-1559
父:フランソワ1世 Francois Ier、母:クロード Claude de France
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71
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フランソワ2世
Francois II
生没:1544-1560、在位:1559-1560
父:アンリ2世 Henri II、母:カトリーヌ・ド・メディシス Catherine de Medicis
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72
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シャルル9世
Charles IX
生没:1550-1574、在位:1560-1574
父:アンリ2世 Henri II、母:カトリーヌ・ド・メディシス Catherine de Medicis |
摂政カトリーヌ・ド・メディシス
1562年、宗教戦争勃発
1572年、聖バルテルミューのプロテスタント大虐殺 |
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アンリ3世
Henri III
生没:1551-1589、在位:1574-1589
父:アンリ2世 Henri II、母:カトリーヌ・ド・メディシス Catherine de Medicis
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狂信的な修道僧により暗殺 |
ブルボン朝 Capétien - Bourbon
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同性愛好みのアンリ3世には子がなかったため断絶し、ナバーラ王の子アンリ4世が改宗を代償に即位するも、ルイ13世時代にプロテスタントとの争いは泥沼化(三十年戦争)。ルイ14世時代の絶対王政を確立し、国内経営と海外進出をもくろむも、啓蒙主義により、自由経済を停滞させるとして、君主制体制が抗議の対象となっていく。一方、新世界の発見と植民地経営により、奴隷・香料・茶の貿易が盛んになるが、7年戦争により下火に |
74
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アンリ4世
Henri IV
生没:1553-1610、在位:1589-1610
父:アントワヌ・ド・ブルボン Antoine de Bourbon、母:ジャンヌ・ダルブレJeanne d'Albret
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1598年、ナントの勅令により、新教の礼拝が認められ、宗教戦争が終結
1610年、アンリ4世暗殺 |
75
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公平王ルイ13世
Louis XIII le Juste
生没:1601-1643、在位:1610-1643
父:アンリ4世 Henri IV、母:マリー・ド・メディシス Marie de Medicis
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摂政マリー・ド・メディシス
1617年、フロンドの乱
1618年、三十年戦争勃発
1624年、宰相リシュリュー |
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太陽王ルイ14世
Louis XIV le Grand
生没:1638-1715、在位:1643-1715
父:公正王ルイ13世 Louis XIII le Juste、母:アンヌ・ドートリッシュ Anne d'Autriche
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摂政アンヌ・ドートリッシュ、宰相マザラン
1648年、フロンドの乱。ウェストファリアの和約により、三十年戦争終結
1661年、ルイ14世の親政、宰相コルベール
1685年、ナントの勅令廃止により、迫害されたユグノーは退去して国外逃亡 |
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最愛王ルイ15世
Louis XV le Bien-Aime
生没:1710-1774、在位:1715-1774
父:王太子ルイ(ルイ14世孫) Louis dauphin (petit-fils de Louis XIV)、母:マリー・アドレード Marie-Adelaide
de Savoie
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摂政オルレアン公
1713年 オランジュ公国をフランス王国に統合
1756年、7年戦争勃発
1763年、パリ条約により、フランスはインドとカナダを失う
1768年、ジェノバがコルシカ島をフランスに売却 |
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ルイ16世
Louis XVI
生没:1754-1793、在位:1774-1792
父:王太子ルイ(ルイ15世の子)Louis dauphin (fils de Louis XV)、母:マリー・ジョゼフ Marie-Josephe
de Saxe
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1774年、テュルゴーの改革
1783年、アメリカ合衆国の独立承認
1789年5月5日、全国三部会の招集。7月14日、バスティーユ占拠。8月4日、封建的諸特権の廃止
1790年、貴族や教会から没収した土地の再分配に伴い、地方が解体され県が設置。その後、徐々にフランスの国境線が現在のものに。
プロヴァンス地方から、ブシュ・デュ・ローヌ、ヴァール、バス・アルプの3県が成立。ドフィネ地方から、オート・アルプ他2県が成立。
1792年9月20日、ヴァルミーの勝利。9月21日、国民公会が共和制を宣言 |
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ルイ17世(称号のみ)
Louis XVII
生没:1785-1795、在位:1792-1795(en titre seulement)
父:ルイ16世 Louis XVI、母:マリー・アントワネット Marie-Antoinette d'Autriche
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1793年、ルイ16世の処刑。恐怖政治
1793年 コンタヴネサン(ローマ教皇領)を吸収、ヴォークリューズ県が成立。
1794年、ロベスピエールの没落と恐怖政治終結
1795年、総裁政府
1799年、ナポレオンのクーデタ。統領政府 |
第一帝政(ボナパルト朝) Empereur
des Français
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ロベスピエールの没落後、共和主義者だったナポレオンは、王党派のクーデタを未然に防ぎ、パリのノートルダム寺院で教皇に聖別されて皇帝になる。革命から受け継がれた政治・行政機構が整備しなおされ、各県に知事を隠岐、ナポレオン法典により、自由主義的思想に基づいた社会的規範が定めると、ヨーロッパ征服戦争に進出。イギリスの大陸封鎖に苦しみ、ワーテルローの戦いで、ナポレオン帝国は終焉を迎える |
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ナポレオン1世(皇帝)
Napoleon Ier - Bonaparte(Empereur des Francais)
生没:1769-1821、在位:1804-1815
父:シャルル・ボナパルト Charles Bonaparte、母:ラエティティア Laetitia Ramolino |
1804年12月2日、フランス皇帝として戴冠
1805年、トラファルガーの敗戦。アウステルリッツの勝利
1812年、ロシア撤退
1814年、ナポレオン退位
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復古王政(ブルボン朝) Capétien - Bourbon |
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ルイ18世
Louis XVIII
生没:1755-1824、在位:1814-1824
父:王太子ルイ Louis dauphin (fils de Louis XV)、母:マリー・ジョゼフ Marie-Josephe
de Saxe |
ルイ16世の弟
1815年、ナポレオン帰還。百日天下。6月18日、ワーテルローの戦い。ナポレオン再度退位 |
第一帝政(ボナパルト朝) Empereur des Français
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82
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ナポレオン2世
Napoleon II - Bonaparte
生没:1811-1832、在位:1815-1815
父:ナポレオン1世 Napoleon Ier、母:マリー・テレーズ Marie-Louise d'Autriche |
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復古王政(ブルボン朝) Capétien - Bourbon |
ナポレオン没落後、国王が復活。選挙権の拡大と言論の完全な自由を要求するブルジョワに対し、アルジェリア征服で民衆の人気を取り、完全に従順な議会による支配を行おうとするも、7月革命にて覆され、ブルボン朝の嫡流はフランス王位を失う |
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シャルル10世
Charles X
生没:1757-1836、在位:1824-1830
父:王太子ルイ Louis dauphin (fils de Louis XV)、母:マリー・ジョゼフ Marie-Josephe
de Saxe |
ルイ18世の弟
1830年、7月革命 |
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ルイ19世
Louis XIX
生没:1775-1844、在位:1830-1830
父:シャルル10世 Charles X、母:マリー・テレーズ Marie-Therese de Savoie |
すぐに退位(renonciation immediate) |
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アンリ5世
Henri V
生没:1820-1883、在位:1830-1830
父:シャルル・フェルディナンド Charles-Ferdinand (fils aine de Charles X)、母:マリー・カロリーヌ Marie-Caroline
des Deux-Siciles |
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七月王制(オルレアン朝) Capétien - Bourbon-Orléans |
7月革命後、オルレアン公により、より立憲的な君主制が敷かれる。ブルボン家の白旗に代えて三色旗を復活させ、「フランス国民の王」と名乗る。ブルジョワよりの政策に対し、劣悪な労働条件と貧困にあえぐ民衆の怒りが頂点に達し、君主制を決定的に覆すことになる(2月革命)
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ルイ・フィリップ(フランス国民の王)
Louis-Philippe (Roi des Français)
生没:1773-1850、在位:1830-1848
父: ルイ・フィリップ Louis Philippe d'Orleans (Philippe-Egalite)、母:ルイーズ・マリー Louise-Marie
de Bourbon-Penthievre |
1830年7月27〜29日、「栄光の3日間」
1848年、第二共和制。12月10日、共和国大統領を選出 |
第二帝政 Empereur des Français
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2月革命により、共和制が支持され、国民の王はイギリスに亡命。国民選挙により、ルイ・ナポレオン・ボナパルト大公が共和国大統領に選出されるも、3年で終焉(第二共和制)。その後、ナポレオン3世が国民投票によって帝国の主権者に選出。陸海軍を準備して、ロシア、オーストリアと戦争し、メキシコに遠征軍を送り占領した。一方、国内では大規模な工業化によって、鉄道幹線を施設、鉱山・製鉄所・港の発展を奨励した。パリの街はオスマン男爵の手で再建され、デパートが出現して、小売店が姿を消すなど、近代フランスの外観が整ってくる |
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ナポレオン3世
Napoleon III - Bonaparte(Empereur des Francais)
生没:1808-1873、在位:1852-1870
父:ルイ・ボナパルト Louis Bonaparte、母:オルテンス Hortense de Beauharnais |
1852年、フランス人民の皇帝
1860年、イタリア統一に伴うトリノ条約によって、ニース伯爵領がフランスに譲渡され、アルプ・マリティム県が成立。
1870年、普仏戦争・第三共和制
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