フランスの歴代君主

ガリア、ローマ時代、民族大移動を経て、5世紀にフランク人の王国が作られてから、市民革命を経て、19世紀まで、現在のフランスはフランス王によって治められていました。
もっとも、その間にいくつかの王朝が立てられ、何世紀にも渡って国土は変化し続け、現在の六角形の国境線が定まるには19世紀まで待たねばなりません。つまり、パリ周辺の一地方豪族が、次第に勢力を拡大する歴史でもあるわけです。
以下に、歴代の王・皇帝を一覧にしてみました。実にその数、なんと87人に上ります。


"GASO,la banque de blasons"より参考・引用


「カラーイラスト 世界の生活史 19 フランスの歴史」(東京書籍)より参考・引用


プロヴァンスの歴史年表|フランスの歴史年表|プロヴァンスの歴代領主


▼もくじ
メロヴィング朝カロリング朝ウード朝カペー朝ヴァロワ朝ヴァロワ・オルレアン朝ブルボン朝第一帝政以降

名前
生没年(né/mort)、在位(regne)
両親
主な出来事
メロヴィング朝 Mérovingien

ゲルマン民族大移動の中で、忍耐強く、武器の扱いに巧みな戦士兼牧人の集団フランク族は、はじめソンム川、のちにセーヌ川の岸辺に定着を試み、やがて勢力を張る。侵入者に悩むガロ・ローマ(ローマ化されたガリア人)の司教たちに軍事力を提供することで、キリスト教を奉じる領主制の農業国メロヴィング王国が誕生した

1
キルデリック1世(メロヴィング朝) 
Childeric Ier
生没:436-481、在位:457-481
父:メロヴェ Merovee
 
2

クローヴィス1世(メロヴィング朝) 
Clovis Ier
生没:465-511、在位:481-511
父:キルデリック1世 Childeric Ier、母:バジヌ Basine

ゲルマン人フランク族の一部族サリ族の戦士の長
洗礼を通して、ランスの司教聖レミギウスとの同盟を結ぶことで、「フランク王」となり、国家としての形を整えた(フランク族の軍事力と司教たちのローマ的行政支配)。その領土は、ガロンヌ川からライン川に至った。王国の首都パリで死去
3

ティエリ1世(アウストラシア王国) 
Thierry Ier - Royaume d'Austrasie
没:533、在位:511-533
父:クローヴィス1世 Clovis Ier

 
4
クロドミール(オルレアン王国)  
Clodomir - Royaume d'Orleans
没:524、在位:511 - 524
父:クローヴィス1世 Clovis Ier、母:クロティルド Clotilde
 
5

クロテール1世(フランク王国) 
Clotaire Ier - Royaume franc
生没:497-561、在位:511-561
父:クローヴィス1世 Clovis Ier、母:クロティルド Clotilde

529年、ベネディクト派修道院設立
6

テオドベルト1世(アウストラシア王国)
Theodebert Ier - Royaume d'Austrasie
生没:504-547、在位:533-547
父:ティエリ1世 Thierry Ier、母:スアヴェゴート Suavegothe

 
7
テオドバルド(アウストラシア王国)
Theodebald - Royaume d'Austrasie
生没:535-555、在位:547-555
父:テオドベルト1世 Theodebert Ier、母:デウテリ Deuterie
 
8

カリベルト(フランク王国) 
Caribert - Royaume franc
生没:531-567、在位:561-567
父:クロテール1世 Clotaire Ier、母:インゴンド Ingonde

 
9
ゴントラン(ブルゴーニュ王国) 
Gontran - Royaume de Bourgogne
生没:531-592、在位:561-592
父:クロテール1世 Clotaire Ier、母:インゴンド Ingonde
フランク族内でネウストリアとアウストラシアが抗争(561〜629)
10
キルペリック1世(ネウストリア王国) 
Chilperic Ier - Royaume de Neustrie
生没:539-584、在位:561-584
父:クロテール1世 Clotaire Ier、母:アレゴンド Aregonde
 
11

ジゲベルト1世(アウストラシア王国) 
Sigebert Ier - Royaume d'Austrasie
生没:535-575、在位:561-575
父クロテール1世 Clotaire Ier、母インゴンド Ingonde

 
12
キルデベルト2世(アウストラシア王国)
Childebert II - Royaume d'Austrasie
生没:570-595、在位:575-595
父:ジゲベルト1世 Sigebert Ier、母:ブルネハウト Brunehaut
 
13

クロテール2世(ネウストリア王国) 
Clotaire II - Royaume de Neustrie
生没:582-629、在位:584-629
父:キルペリック1世 Chilperic Ier、母:フレデゴンド Fredegonde

 
14
テオデベルト2世(アウストラシア王国)
Theodebert II - Royaume d'Austrasie
生没:584-612、在位:595-612
父:キルデベルト2世 Childebert II、母:フェルベ Faileube
 
15

ティエリ2世(ブルゴーニュ王国) 
Thierry II - Royaume de Bourgogne
生没:586-613、在位:595-613
父:キルデベルト2世 Childebert II、母:フェルベ Faileube

 
16

ジゲベルト2世(アウストラシア王国)
Sigebert II - Royaume d'Austrasie
生没:601-613、在位:613-613
父ティエリ2世 Thierry II、母エルメンベルゲ

 
17

ダゴベルト1世(フランク王国) 
Dagobert Ier - Royaume franc
生没:604-639、在位:629-639
父:クロテール2世 Clotaire II、母:ベルトルド Bertrude

629年、フランク王国再統一

18

聖ジゲベルト3世(アウストラシア王国)
Sigebert III (saint) - Royaume d'Austrasie
生没:631-656、在位:634-656
父:ダゴベルト1世 Dagobert Ier、母:ラグネトルド Ragnetrude

 
19
クロヴィス2世(ネウストリア王国)
Clovis II - Royaume de Neustrie
生没:634-657、在位:639-657
父ダゴベルト1世 Dagobert Ier、母ナンティルド Nantilde
 
20

クロテール3世(ネウストリア王国)
Clotaire III - Royaume de Neustrie
没:673、在位:657-673
父クロヴィス2世 Clovis II、母バティルド Bathilde

 
21
キルデリック2世(アウストラシア王国)
Childeric II - Royaume d'Austrasie
生没:650-675、在位:662-675
父:クロヴィス2世 Clovis II、母:バティルド Bathilde
 
22

クロヴィス3世(アウストラシア王国)
Clovis III - Royaume d'Austrasie
没:675、在位:675-675
父:クロテール3世 Clotaire III

 
23

ティエリ3世(ネウストリア王国)
Thierry III - Royaume de Neustrie
没:690、在位:675-690
父:クロヴィス2世 Clovis II、母:バティルド Bathilde

 
24
ダゴベルト2世(メロヴィング朝/アウストラシア王国)
Dagobert II - Royaume d'Austrasie
没:679、在位:676 - 679
父:聖ジゲベルト3世 Sigebert III (saint)、母:エムネキルディス Emnechildis
 
25

クロヴィス4世(ネウストリア王国)
Clovis IV - Royaume de Neustrie
生没:682-695、在位:692-695
父:ティエリ3世 Thierry III

 
26

キルデベルト3世(ネウストリア王国)
Childebert III - Royaume de Neustrie
生没:683-711、在位:695-711
父:ティエリ3世 Thierry III

 
27

ダゴベルト3世(ネウストリア王国)
Dagobert III - Royaume de Neustrie
生没:699-715、在位:711-715
父:キルデベルト3世

 
28

キルペリック2世(ネウストリア王国)
Chilperic II - Royaume de Neustrie
没:721、在位:715-721
父:キルデリック2世

 
29

クロテール4世(ネウストリア王国)
Clotaire IV - Royaume de Neustrie
没:719、在位:718-719
父:ティエリ3世 Thierry III

 
30
ティエリ4世(ネウストリア王国)
Thierry IV - Royaume de Neustrie
没:737、在位:721-737
父:ダゴベルト3世 Dagobert III
732年、カール・マルテルがポワティエの戦いでサラセン人を撃退
31

キルデリック3世(ネウストリア王国)
Childeric III - Royaume de Neustrie
没:754、在位:743-751
父:キルペリック2世 Chilperic II

741年、カール・マルテルの死

カロリング朝 Carolingien

カール大帝が、様々なフランク族の王国を合せて、古典文明・ローマ帝国を再生する帝国を築き、ローマで教皇から戴冠。異教のサクソン人やイスラム教徒に脅威を与え、ヨーロッパという観念の最初の現われとなるも、その後、広大な版図はヴェルダン条約により三分割され、古くからのガリア諸地方は西フランク王国、ゲルマニア諸地方と皇帝の称号は東フランク王国となる。両国に挟まれたロタリンギア王国はすぐに分解され、ヨーロッパはその一部を独占しようと20世紀まで争い続けることになる。ヨーロッパにおいて、西フランク王国は、肥沃な土地と家畜の豊かさから、特権的な地位を占めるようになった

32

短躯王ペピン
Pepin le Bref
生没: 714-768、在位:751-768
父カール・マルテル Charles Martel

メロヴィング朝の没落に伴い、フランク国王となる
33

カール大帝(西ローマ皇帝)
Charlemagne (Empereur d'Occident)
生没:747-814、在位:768-814
父:短躯王ペピン Pepin le Bref、母:ベルト Berthe (Bertrade)

800年、西ローマ皇帝としてローマで戴冠。「神の剣」として、キリスト教ヨーロッパの創造者となる。
34

敬虔王ルイ1世(西ローマ皇帝)
Louis Ier le Pieux (Empereur d'Occident)
生没:778-840、在位:814-840
父:カール大帝 Charlemagne、母:ヒルデガルド Hildegarde

 
35
禿頭王シャルル2世(西ローマ皇帝)
Charles II le Chauve (Empereur d'Occident)
生没:823-877、在位:840-877
父:敬虔王ルイ1世 Louis Ier le Pieux、母:ジュディット Judith de Baviere
843年、ヴェルダン条約による西ローマ帝国の3分割(シャルルはガリア、ロタールはロタリンギア、ルードヴィヒはゲルマニア)。
844年、ヴァイキング・ノルマン人の襲撃
36

吃音王ルイ2世
Louis II le Begue
生没:846-879、在位:877-879
父:禿頭王シャルル2世 Charles II le Chauve、母:エルメトルド Ermentrude

 
37
ルイ3世
Louis III
生没:863-882、在位:879-882
父:吃音王ルイ2世 Louis II le Begue、母:アンスガルド Ansgarde
 
38

肥満王カール3世
Charles le Gros
生没:839-888、在位:884-887
父:ゲルマン王ルイ Louis le Germanique、母:エマ Emma de Baviere

886年、ノルマン人によるパリ包囲

ウード朝 Eudes - capétien

39

ウード
Eudes - capetien
生没:860-898、在位:888-898
父:頑丈王ロベール Robert le Fort、母:アデレード Adelaide

 

カロリング朝 carolingien

40

単純王シャルル3世
Charles III le Simple
生没:879-929、在位:898-922
父:吃音王ルイ2世 Louis II le Begue、母:アドレード Adelaide

911年、ノルマン人のセーヌ川下流地方定住
912年、ノルマン人首長ロロ、ノルマンディーを授けられる

ウード朝 Eudes - capétien

41
ロベール1世
Robert Ier
生没:865-923、在位:922-923
父:頑丈王ロベール Robert le Fort、母:アデレード Adelaide
 
42
ラウール
Raoul de Bourgogne
没:936、在位:923-936
父:ブルゴーニュ王リシャール Richard de Bourgogne
 

カロリング朝 Carolingien

43
ルイ4世
Louis IV d'Outremer
生没:921-954、在位:936-954
父:単純王シャルル3世 Charles III le Simple、母:エドウィグ Edwige de Wessex
 
44

ロテール
Lothaire
生没:941-986、在位:954-986
父:ルイ4世 Louis IV d'Outremer、母:ゲルベルジュ Gerberge de Saxe

 
45

ルイ5世
Louis V
生没:967-987、在位:986-987
父:ロテール Lothaire、母:エマ Emma d'Italie

 

カペー朝 Capétien

ユーグ・カペーのクーデタにより出発し、少しずつ王朝の力を強めていくも、封建領主が混在し、領地を巡る争いが頻発する。また、教皇の呼びかけに従い、フランス諸王は全ヨーロッパ諸侯とともに、聖地エルサレム奪還のために十字軍遠征を繰り返す。多くの領主が十字軍費用を賄いきれずに没落し、富裕な自治都市が台頭する中、フランス王国は拡大し、次第に単なる領土から組織された国家に変わっていく

46

ユーグ・カペー
Hugues Capet
生没:940-996、在位:987-996
父:大ユーグ Hugues le Grand、母:ハドウィゲ Hadwige

987年、パリ伯・フランス公ユーグ・カペーがフランス王国を建設(ただし、まだ1つの州にすぎなかった)
47
敬虔王ロベール2世
Robert II le Pieux
生没:970-1031、在位:996-1031
父:ユーグ・カペー Hugues Capet、母:アドレード Adelaide d'Aquitaine
 
48

アンリ1世
Henri Ier
生没:1008-1060、在位:1031-1060
父:敬虔王ロベール2世 Robert II le Pieux、母:コンタンス Contance d'Arles

 
49
フィリップ1世
Philippe Ier
生没:1052-1108、在位:1060-1108
父:アンリ1世 Henri Ier、母:アンヌ Anne de Kiev
1066年、ノルマンディー公ウィリアム、イギリスを征服
1096年、十字軍開始
1099年、十字軍によるエルサレム奪取
50

肥満王ルイ6世
Louis VI le Gros
生没:1081-1137、在位:1108-1137
父:フィリップ1世 Philippe Ier、母:ベルト Berthe de Hollande

 
51

未熟王ルイ7世
Louis VII le Jeune
生没:1121-1180、在位:1137-1180
父:肥満王ルイ6世 Louis VI le Gros、母:アドレード Adelaide de Savoie

1152年、アリエノール・ダキテーヌ、ブランタジネット家と姻戚関係を結ぶ
1154年、ブランタジネット家、イギリス国王となる
52
尊厳王フィリップ2世
Philippe II Auguste
生没:1165-1223、在位:1180-1223
父:未熟王ルイ7世 Louis VII le Jeune、母:アデル Adele de Champagne
イギリス領だったパリ西部ヴェクサン地方を没収、ノルマンディー、アンジュー、メーヌ、トゥーレーヌ、ポワトゥーを手にする
1190年、サラディンが第三回十字軍を破る
1208年、アルビジョワ十字軍開始
1214年、尊厳王フィリップ、ブーヴィーヌにてドイツ皇帝オットーを破る
53

獅子王ルイ8世
Louis VIII le Lion
生没:1187-1226、在位:1223-1226
父:尊厳王フィリップ2世 Philippe II Auguste、母:イザベル Isabelle de Hainaut

 
54

聖王ルイ9世
Louis IX (Saint Louis)
生没:1214-1270、在位:1226-1270
父:獅子王ルイ8世 Louis VIII le Lion、母:ブランシュ Blanche de Castille

1244年、南フランス・モンセギュールにて、カタリ派を大虐殺
55

大胆王フィリップ3世
Philippe III le Hardi
生没:1245-1285、在位:1270-1285
父:聖王ルイ9世 Louis IX (Saint Louis)、母:マルゲリットMarguerite de Provence

 
56

端麗王フィリップ4世
Philippe IV le Bel
生没:1268-1314、在位:1285-1314
父:大胆王フィリップ3世 Philippe III le Hardi、母:イザベル Isabelle d'Aragon

中央集権化を進め、絶対王政の礎を築いた。また領土的な野心も強く、フランス王領を拡大した。

【結婚・即位】
1284年、ナバラ女王ジャンヌ(フアナ1世)と結婚、ナバラ王とシャンパーニュ伯となり、王の直轄領が強化された。
1285年、アラゴン遠征の帰りに病没した父フィリップ3世を継いで即位。

【フランドルの争い】
1297年から羊毛産業で栄えたフランドルを狙って、市民やイングランド王と1314年まで生涯激しく争った。

【教皇権への介入】
1302年、対立する教皇ボニファティウス8世捕縛を計り失敗(アナーニ事件)。
1305年、フランス出身の教皇クレメンス5世を立てる。1308年、教皇庁をアヴィニョンに移し傀儡(アヴィニョン捕囚)。

【テンプル騎士団解体】
1307年10月13日、テンプル騎士団を一斉に逮捕。異端審問の後、教皇クレメンス5世に働きかけテンプル騎士団を解散させ、フランス国内の資産を没収。
1314年にジャック・ド・モレーら騎士団の最高幹部を火刑。

57

ルイ10世
Louis X le Hutin
生没:1289-1316、在位:1314-1316
父:端麗王フィリップ4世 Philippe IV le Bel、母:ジャンヌ1世 Jeanne Ire de Navarre

カペー朝の直系が絶える
58

ジャン1世(遺勲)
Jean Ier le Posthume
生没:1316-1316、在位:1316 - 1316
父:ルイ10世 Louis X le Hutin、母:クレマンス Clemence de Hongrie

 
59

長大王フィリップ5世
Philippe V le Long
生没:1293-1322、在位:1316-1322
父:端麗王フィリップ4世 Philippe IV le Bel、母:ジャンヌ1世 Jeanne Ire de Navarre

 
60

端麗王シャルル4世
Charles IV le Bel
生没:1294-1328、在位:1322-1328
父:端麗王フィリップ1世 Philippe IV le Bel、母:ジャンヌ1世Jeanne Ire de Navarre

1328年、カペー朝断絶

ヴァロワ朝 Capétien - Valois

カペー朝の断絶により、フィリップ3世の孫が王位につく。11〜13世紀に西ヨーロッパ全体が豊かになると、新しい君主制国家同士のフランスとイギリスが戦いを始め、この争いに多くの年や産業を抱えるフランドルと肥沃なブルゴーニュが巻き込まれる(百年戦争) 。結果として、仏英両国で国民意識が高まり、イギリスの領地はフランスからほぼ駆逐されるなど、国王権力が強化される。一方、ペストが全ヨーロッパに蔓延し、多くの犠牲者を出した
61

フィリップ6世
Philippe VI
生没:1294-1350、在位:1328-1350
父:シャルル4世・ド・ヴァロワ(フィリップ3世の子) Charles de Valois、母:マルゲリット Marguerite d'Anjou-Sicile

1339年、百年戦争勃発
1346年、フィリップ6世、クレシーで敗北
62

善良王ジャン2世
Jean II le Bon
生没:1319-1364、在位:1350-1364
父:フィリップ6世 Philippe VI、母:ジャンヌ Jeanne de Bourgogne

1356年、ポワティエでイギリス王の黒太子がフランス軍を破り、善良王ジャン2世を捕虜に
1360年、プレティニーの和約で、イギリスがフランス南西部を占拠
63
賢明王シャルル5世
Charles V le Sage
生没:1338-1380、在位:1364-1380
父:善良王ジャン2世 Jean II le Bon、母:ボンヌ Bonne de Luxembourg
 
64
狂気王シャルル6世
Charles VI le Fol
生没:1368-1422、在位:1380-1422
父:賢明王シャルル5世 Charles V le Sage、母:ジャンヌ Jeanne de Bourbon
1415年、アザンクレールの戦いにて、イギリス王ヘンリー5世が大勝利すると、シャルル6世の娘と結婚し、フランス王位を要求
1422年、 ヘンリー5世の死後、摂政ベッドフォードがフランス北部を占領し、南西部を侵略
65
栄光王シャルル7世
Charles VII le Victorieux
生没:1403-1461、在位:1422-1461
父:狂気王シャルル6世 Charles VI le Fol、母:イザボー Isabeau de Baviere
1429年、ジャンヌ・ダルク、オルレアンを解放
1453年、百年戦争終結
66

ルイ11世
Louis XI -
生没:1423-1483、在位:1461-1483
父:栄光王シャルル7世 Charles VII le Victorieux、母:マリ Marie d'Anjou

近代国家として、全国民に共通の法を定めた。
1482年、プロヴァンス伯領をフランス王国に吸収。
1486年、正式にフランス王国プロヴァンス地方として承認。
67
シャルル8世
Charles VIII
生没:1470-1498、在位:1483 - 1498
父:ルイ11世 Louis XI、母:シャルロット Charlotte de Savoie
1492年、コロンブスがアメリカ大陸発見

ヴァロワ・オルレアン朝 Capétien - Valois-Orléans

ヴァロワ本家が断絶し、シャルル5世の子孫、オルレアン公シャルルの息子ルイが即位。

68

人民の父ルイ12世(カペー・オルレアン朝)
Louis XII le Pere du Peuple
生没:1462-1515、在位:1498-1515
父:シャルル・ドルレアン Charles d'Orleans、母:マリ Marie de Cleves

 

ヴァロワ・オルレアン朝 Capétien - Valois-Orleans-Angouleme

ルイ12世にも世継ぎがないため、シャルル5世から出たアングレーム伯シャルルの息子フランソワを養子とした。
ルネサンス期にあたるこの時期、フランス国王はイタリアの富を狙って、イタリアに遠征を試みるも失敗。しかし、近代的な企業、壮大な建築、科学や美術に感化され、絹織物工業を発展させ、造船所、港、武器工場の創設に努めた。フィレンツェの名家メディチ家の娘が相次いでフランス王妃の座についた。また、宗教に対する疑問から新教が広まると、虐殺と内戦が続いた(宗教戦争)

69

フランソワ1世
Francois Ier
生没:1494-1547、在位:1515-1547
父:シャルル・ド・ヴァロワ・オルレアン・アングレムCharles de Valois-Orleans-Angouleme、母:ルイーズ Louise de Savoie

コレージュ・ド・フランスを創立して学問研究を奨励
1515年、フランソワ1世、マリニャーノで勝利
1524年、騎士バヤールの死
70

アンリ2世
Henri II
生没:1519-1559、在位:1547-1559
父:フランソワ1世 Francois Ier、母:クロード Claude de France

 
71

フランソワ2世
Francois II
生没:1544-1560、在位:1559-1560
父:アンリ2世 Henri II、母:カトリーヌ・ド・メディシス Catherine de Medicis

 
72
シャルル9世
Charles IX
生没:1550-1574、在位:1560-1574
父:アンリ2世 Henri II、母:カトリーヌ・ド・メディシス Catherine de Medicis
摂政カトリーヌ・ド・メディシス
1562年、宗教戦争勃発
1572年、聖バルテルミューのプロテスタント大虐殺
73

アンリ3世
Henri III
生没:1551-1589、在位:1574-1589
父:アンリ2世 Henri II、母:カトリーヌ・ド・メディシス Catherine de Medicis

狂信的な修道僧により暗殺

ブルボン朝 Capétien - Bourbon

同性愛好みのアンリ3世には子がなかったため断絶し、ナバーラ王の子アンリ4世が改宗を代償に即位するも、ルイ13世時代にプロテスタントとの争いは泥沼化(三十年戦争)。ルイ14世時代の絶対王政を確立し、国内経営と海外進出をもくろむも、啓蒙主義により、自由経済を停滞させるとして、君主制体制が抗議の対象となっていく。一方、新世界の発見と植民地経営により、奴隷・香料・茶の貿易が盛んになるが、7年戦争により下火に
74

アンリ4世
Henri IV
生没:1553-1610、在位:1589-1610
父:アントワヌ・ド・ブルボン Antoine de Bourbon、母:ジャンヌ・ダルブレJeanne d'Albret

1598年、ナントの勅令により、新教の礼拝が認められ、宗教戦争が終結
1610年、アンリ4世暗殺
75

公平王ルイ13世
Louis XIII le Juste
生没:1601-1643、在位:1610-1643
父:アンリ4世 Henri IV、母:マリー・ド・メディシス Marie de Medicis

摂政マリー・ド・メディシス
1617年、フロンドの乱
1618年、三十年戦争勃発
1624年、宰相リシュリュー
76

太陽王ルイ14世
Louis XIV le Grand
生没:1638-1715、在位:1643-1715
父:公正王ルイ13世 Louis XIII le Juste、母:アンヌ・ドートリッシュ Anne d'Autriche

摂政アンヌ・ドートリッシュ、宰相マザラン
1648年、フロンドの乱。ウェストファリアの和約により、三十年戦争終結
1661年、ルイ14世の親政、宰相コルベール
1685年、ナントの勅令廃止により、迫害されたユグノーは退去して国外逃亡
77

最愛王ルイ15世
Louis XV le Bien-Aime
生没:1710-1774、在位:1715-1774
父:王太子ルイ(ルイ14世孫) Louis dauphin (petit-fils de Louis XIV)、母:マリー・アドレード Marie-Adelaide de Savoie

摂政オルレアン公
1713年 オランジュ公国をフランス王国に統合
1756年、7年戦争勃発
1763年、パリ条約により、フランスはインドとカナダを失う
1768年、ジェノバがコルシカ島をフランスに売却
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ルイ16世
Louis XVI
生没:1754-1793、在位:1774-1792
父:王太子ルイ(ルイ15世の子)Louis dauphin (fils de Louis XV)、母:マリー・ジョゼフ Marie-Josephe de Saxe

1774年、テュルゴーの改革
1783年、アメリカ合衆国の独立承認
1789年5月5日、全国三部会の招集。7月14日、バスティーユ占拠。8月4日、封建的諸特権の廃止
1790年、貴族や教会から没収した土地の再分配に伴い、地方が解体され県が設置。その後、徐々にフランスの国境線が現在のものに。 プロヴァンス地方から、ブシュ・デュ・ローヌ、ヴァール、バス・アルプの3県が成立。ドフィネ地方から、オート・アルプ他2県が成立。
1792年9月20日、ヴァルミーの勝利。9月21日、国民公会が共和制を宣言
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ルイ17世(称号のみ)
Louis XVII
生没:1785-1795、在位:1792-1795(en titre seulement)
父:ルイ16世 Louis XVI、母:マリー・アントワネット Marie-Antoinette d'Autriche

1793年、ルイ16世の処刑。恐怖政治
1793年 コンタヴネサン(ローマ教皇領)を吸収、ヴォークリューズ県が成立。
1794年、ロベスピエールの没落と恐怖政治終結
1795年、総裁政府
1799年、ナポレオンのクーデタ。統領政府

第一帝政(ボナパルト朝) Empereur des Français

ロベスピエールの没落後、共和主義者だったナポレオンは、王党派のクーデタを未然に防ぎ、パリのノートルダム寺院で教皇に聖別されて皇帝になる。革命から受け継がれた政治・行政機構が整備しなおされ、各県に知事を隠岐、ナポレオン法典により、自由主義的思想に基づいた社会的規範が定めると、ヨーロッパ征服戦争に進出。イギリスの大陸封鎖に苦しみ、ワーテルローの戦いで、ナポレオン帝国は終焉を迎える
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ナポレオン1世(皇帝)
Napoleon Ier - Bonaparte(Empereur des Francais)
生没:1769-1821、在位:1804-1815
父:シャルル・ボナパルト Charles Bonaparte、母:ラエティティア Laetitia Ramolino

1804年12月2日、フランス皇帝として戴冠
1805年、トラファルガーの敗戦。アウステルリッツの勝利
1812年、ロシア撤退
1814年、ナポレオン退位

復古王政(ブルボン朝) Capétien - Bourbon
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ルイ18世
Louis XVIII
生没:1755-1824、在位:1814-1824
父:王太子ルイ Louis dauphin (fils de Louis XV)、母:マリー・ジョゼフ Marie-Josephe de Saxe
ルイ16世の弟
1815年、ナポレオン帰還。百日天下。6月18日、ワーテルローの戦い。ナポレオン再度退位

第一帝政(ボナパルト朝) Empereur des Français

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ナポレオン2世
Napoleon II - Bonaparte
生没:1811-1832、在位:1815-1815
父:ナポレオン1世 Napoleon Ier、母:マリー・テレーズ Marie-Louise d'Autriche
 
復古王政(ブルボン朝) Capétien - Bourbon ナポレオン没落後、国王が復活。選挙権の拡大と言論の完全な自由を要求するブルジョワに対し、アルジェリア征服で民衆の人気を取り、完全に従順な議会による支配を行おうとするも、7月革命にて覆され、ブルボン朝の嫡流はフランス王位を失う

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シャルル10世
Charles X
生没:1757-1836、在位:1824-1830
父:王太子ルイ  Louis dauphin (fils de Louis XV)、母:マリー・ジョゼフ Marie-Josephe de Saxe
ルイ18世の弟
1830年、7月革命
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ルイ19世
Louis XIX
生没:1775-1844、在位:1830-1830
父:シャルル10世 Charles X、母:マリー・テレーズ Marie-Therese de Savoie
すぐに退位(renonciation immediate)
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アンリ5世
Henri V
生没:1820-1883、在位:1830-1830
父:シャルル・フェルディナンド Charles-Ferdinand (fils aine de Charles X)、母:マリー・カロリーヌ Marie-Caroline des Deux-Siciles
 
七月王制(オルレアン朝) Capétien - Bourbon-Orléans

7月革命後、オルレアン公により、より立憲的な君主制が敷かれる。ブルボン家の白旗に代えて三色旗を復活させ、「フランス国民の王」と名乗る。ブルジョワよりの政策に対し、劣悪な労働条件と貧困にあえぐ民衆の怒りが頂点に達し、君主制を決定的に覆すことになる(2月革命)

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ルイ・フィリップ(フランス国民の王)
Louis-Philippe (Roi des Français)
生没:1773-1850、在位:1830-1848
父: ルイ・フィリップ Louis Philippe d'Orleans (Philippe-Egalite)、母:ルイーズ・マリー Louise-Marie de Bourbon-Penthievre
1830年7月27〜29日、「栄光の3日間」
1848年、第二共和制。12月10日、共和国大統領を選出

第二帝政 Empereur des Français

2月革命により、共和制が支持され、国民の王はイギリスに亡命。国民選挙により、ルイ・ナポレオン・ボナパルト大公が共和国大統領に選出されるも、3年で終焉(第二共和制)。その後、ナポレオン3世が国民投票によって帝国の主権者に選出。陸海軍を準備して、ロシア、オーストリアと戦争し、メキシコに遠征軍を送り占領した。一方、国内では大規模な工業化によって、鉄道幹線を施設、鉱山・製鉄所・港の発展を奨励した。パリの街はオスマン男爵の手で再建され、デパートが出現して、小売店が姿を消すなど、近代フランスの外観が整ってくる

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ナポレオン3世
Napoleon III - Bonaparte(Empereur des Francais)
生没:1808-1873、在位:1852-1870
父:ルイ・ボナパルト Louis Bonaparte、母:オルテンス Hortense de Beauharnais

1852年、フランス人民の皇帝
1860年、イタリア統一に伴うトリノ条約によって、ニース伯爵領がフランスに譲渡され、アルプ・マリティム県が成立。
1870年、普仏戦争・第三共和制

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